先日、恩について講義で触れてみた。それは「最近の若い社員は恩を感じているのだろうか」との美容室オーナーの問いかけがきっかけだ。事態は育てた社員が辞めてお店を出すとのこと。めでたいことだがどうやら若手を引き抜く算段をしているようだ。「なんで、あの子が・・」やりきれない気持に、恩知らずとの多少の怒りもあるようだ。「社員が育って独立していくことが私のやり方ですから・・」という人もいることも事実だが、根の部分でのやり取りが肝腎だ。栄枯盛衰の激しい業界でも10店舗展開と地道に発展させてきた手腕は見事だし、小生は8年前に人材育成の面で関わった。早速依頼された社員研修に盛り込むことにした。
そこで,恩について辞書で確認してみた。因は愛に通じ、慈しみの意味がある。恩は恵み、恵む、また慈しむ=受けた方がありがたく思う行為、相手に感謝されるような行為。恩義とは報いるべき義理のある恩、恩恵とは幸福や自分の利益と結びつく恵みと記してある。
○やってもらうこと、教えて貰うことは当たり前と思っている
○ありがとうのお礼を言わない
○おかげさまの言葉がない
○苦労をしたことがないからありがたみの意味がわからない
に類する言葉は最近の若者評として研修でも良く出される嘆きだ。なるほど、恩の意味合いからすれば、厳しい条件をこえての施しに、返しがない時には多少なりとも持ちうる生の心情だ。読者諸氏はいかが論立てするであろうか。
課題は、施した側の持つ願望と、施された側の価値観のギャップだ。恩知らず、恩を仇で返す、こんな非難されている言動不足の自分であるとは思っていまい。俗に言う悪げはないのである。なぜなら、感受の感度なし、それは知らないからだ。
ギャップは物事をどれだけ深く、広く考えられるかの相異だ。深くとは、経過で施してくれた人の努力(思いやり、配慮、苦労、時間的負担、経済的負担・・)をどれだけ読み取れるか(感知)である。そこには経験値の違いが問われる。広くとは、自己中心の見方(若者の思考の核)でなく、鳥の目(大局的)、魚の目(流れ)、虫の目(現実)コウモリの目(逆から)多面的にみることがどうできるかである。そこには困窮を克服した経験値が左右する。この切り口から考えてみれば、施す側と、施され側は違いが出て当たり前である。経験値が違うのだからである。(職場に限らず、生育過程)とすれば、批判することより、この深く、広くのギャップを埋める指導が必要だ。「なぜ」「どうして」「どのように」施しの目的、施しのプロセスを、理解、納得させる事である。それには、第三者が説明する、あるいは苦を共にする、じっくり自己を見つめる等の体験から学びとらせる事も良いだろう。
小生が親に対する恩に涙流したのは、内観であった。1週間寺にこもり、衝立で囲まれた一畳の生活空間で、小一より三年間刻みで親(母、父)に「して貰ったこと」「迷惑かけた事」「して返したこと」の三点の事実を2時間かけて思い起こす。そして導師に答えていく繰り返しだ。重ねていく内に、親の施しの奥にある子を思う深情に気づくとともに、親を軽んじていた傲慢な自分に猛省し、止めどなく涙した。「おれがおれがの が を捨てて、おかげおかげの げでいきよ」その時覚悟を決めた言葉だが、今でも「おかげさまで」の謝念の心を素直に発信できる自分磨きとしている。
「あいつも、この立場になればわかるはずだ」そこには体験すればとの意味合いがあるが、批判でのレッテルを貼る前に、可能な限りの指導の施しを是非願いたい。美容室での研修は70人、店内(土足で歩くが綺麗)に座り込んでの講義であった。若い人、でも熱心に聞き、お礼の挨拶も幾重にも頂いた。聴き手に支えられてのお役に立てた研修であった。まさに「おかげさま」である。
職場でも、指導の施しは、本人に成り代わって、適切な人がなすべきであることが良い。でなければ恩の押し売りと誤解されかねない。指導も協働力が生きる。
願望と現実のギャップの穴埋め指導は小生がお役に立てます。気軽にご相談ください。
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