最近の研修で指導力強化の類が目立つ。それだけ人少なく、すること多く、さらなる新たな強みづくりを競い合う時の反映か、指導的立場の人への育成力が問われているのである。しかも、自らの数的実績を確保しながらのプレイングコーチャーとしてである。しかし指導しなければ如何のはわかっているが、現実にはなかなか思うように施すことは難儀である。だから、時間がない、いざやろうとしたら面倒だ、自分でやった方が早いとか、任せても上手くいくわけがない、指導してもその成果が見えない。また、どう指導して良いかわからない、指導を受けた経験がない等の生声もお聞きする。それだけわかっていても余裕がない、とにかくいませねばならないことが先決だ、の環境であることと承知している。決して指導責任を軽く捉えているのではないのである。
だからこそ、何とか先に向けての指導実践のゆとりをどう確保するかを一生懸命支援しているのである。だって、育てて各自の実績を高くする、任せることせずして自分の仕事は増えるだけ、ましてやの能力不足でのトラブル発生があれば無駄な時間対応により多忙を強いられるからである。できれば、忙しいときだからこそ、先に向けての時間創造を指導実践をすることによって確保してほしいと説くのではあるが・・・。
さて指導力の要素をここで診てみよう。それは、①本気で育てる覚悟から来る示範力、②実効を確保できる指導スキル③その基本スキルは話力・聴解力④この人の指導なら受け入れるとの人物的影響力⑤指導機会、時間を創造する力である。
小生の研修では、育成のPDCAサイクルの螺旋状継続を推進する上での諸要素として、この5要素を具体的に指導支援をしている。特に言うだけの指導者には、部下は耳に入る説法よりも、目で感化を受ける学びを受け入れる、いまだに目で盗めは生きていると確認する。しかし、早期育成条件ではさらに工夫がいる。それは、身体の動かし方だけの指導では応用力や、察する、先を読む、改善力の感受性は育まれない。ハウツーの奥にある、「何故」「どうして」をじっくりと説くことが大切である。忙しがる指導はここが欠落する。だからヒューマンエラーが発生することにもなる。やり方がわかっていても、その意味合いを熟知していなければ軽んじた取り組み姿勢となるからである。決められた条件の最高実践が施されない結末である。 先日も標準書の徹底的指導をテーマに指導力アップ研修を実施した。案外着目から外される研修内容である。読者各位ではいかがであろうか。
もうすぐ新人が入る。この事を心して、基本能力を徹底指導を願うこの頃である。
さて、当拙筆の思いは、先日卒園式に臨席した事に起因する。何故か、それは3年間で見事に育て上げるものだと毎年脱帽するからである。例えば、142人への修了書授与、返事から、昇段して、園長より受領する。お辞儀して、正面向いて(保護者席)3秒のお披露目、まさに晴れ姿の千両役者だ。延々一時間、乱れずの集団行動が成される。さぞや職員は育て甲斐を実感していることだろう。最後は保護者に向けての20秒近くの一糸乱れずの御礼のメッセージ、併せて3曲の歌、保護者の目頭に思わずハンカチがいく。感動の場面だ。そこには園児の素直さと、職員への絶対的信頼、そして職員のあきらめずの指導の施しの賜の証がある。
部下指導も思うほど、思い通りに思われて、思う通りの事を成す、こんな指導の楽しみを享受したいものだ。タイトルの言葉は先日ある会合で紹介された言葉である。こちらが尽力しても必ずしも遂げられることはない、しかしそれを良として、飽く事なき実践がやがて思いが叶うことに通ずると小生は解釈した。育成、指導もこの心持ちが肝腎と思うからである。それでなければ「教えてやってんのに」との嘆き節がでるからである。
指導力を磨く研修実施しませんか。新人スポット研修(2~3H)もお手伝いいたします。
|